我が家に初めて動物家族がやってきたのは、私が幼稚園児の頃。
転勤族の我が家は、当時 愛知県の岡崎市に住んでおりました。
目の前は田んぼ。真横にはブルートレインが走る事もあったそうです。
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それは、夜には台風が上陸するという大雨の夕方。
5〜6歳くらいだったけど、凄くよく覚えています。
どんどん雨風がひどくなっていくのを確かめるように、カーテンの隙間から外の様子を見ていた母が、田んぼの中に何かを見つけました。
「何か動いてる!」
上の兄を呼び、2人で窓の外の田んぼを見るや否や、飛び出して行きました。
私は下の兄と部屋に残り、窓から田んぼを見ていました。すぐに母と兄がやってきて、田んぼの外に兄を待たせて母は傘もささずに田んぼの中に入って行きました。
私と下の兄は、その動くものを見つけられなかったけれど、母は何かをすくい上げるような仕草をして、田んぼの外で待つ兄の元へと駆け寄り、その何かを託したのです。
そして、びしょ濡れで戻ってきた2人が連れてきたのは、すっかり弱って飛べなくなったインコでした。
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私にとってこの記憶は、おそらく普通の事、日常の一コマだったんだと思います。
小さい頃は、1番身近な親がする事が、『当たり前のお手本』ですから。
ピイちゃん(と名付けられました)が我が家にやってきた経緯としての記憶でしかなかったんです。
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先日、保護活動をされている方のインスタの投稿の中でこんな記事を見ました。
親が子供の目の前で、「旅行に行きたいから、さっきまで一緒に暮らしていた動物は死んでも構わない」と言っている。そして子供も旅行を選んでいる。既に『そういう教育』されてきてるんでしょうね。
人間以外は命はない。動物はぬいぐるみと一緒、いらなくなったら捨てればいい。欲しくなったら また買えばいい。
そんな教育をされた子供がどんな大人になっていくのか。容易に想像できます。
久しぶりに怒りで手が震えました。そして怒れば怒るほど、子供の頃の、田んぼに入っていく母の背中を思い出していました。
小さな命を守る事は当たり前の事なんだと、言葉ではなく行動で教えてくれていた母に、今、何十年も経った今、とても感謝しています。
私の見るべき背中が あなたで本当に良かった。
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ちなみに、その半年後くらいに我が家は台湾に転勤になってしまい、さすがに海外にはピイちゃんを連れてはいけないので、従姉妹の家にもらわれていきました。
そして私が中学生になるまで元気に幸せに過ごしておりました。
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